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2026/11/01

1945イッタ―城の戦い

 

 ※アマゾンに投稿したレビューの転載

1945年4月30日にヒトラーが自殺、同年5月7日ナチスがドイツが無条件降伏、同年5月8日終戦。イッタ―城の戦いは、同年5月5日、ヒトラーは死んだがドイツはまだ降伏していないという特殊な状況で起こった戦闘。

イッター城に幽閉されるフランス人VIP囚人(元首相2人、テニス元チャンピオン等)を救うため、これまで敵同士だった米軍と、ナチス武装親衛隊大佐、ドイツ国防軍少佐及びその部下であるドイツ国防軍兵士とが協力して、ナチス親衛隊と戦った。

低予算で作られた配信用B級映画とはいえ、実話に基づく題材が優れているため、とても楽しめる。

(以下ネタバレ注意)

映画の原作は、ドキュメンタリー「ドイツ・アメリカ連合作戦: 第二次世界大戦の「奇跡」といわれた捕虜収容所奪還作戦」(スティーブン・ハーディング著)。映画があまりに興味深かったので、この原作も購入して読んだ。

それによると、ドイツ側の主な登場人物の経歴は次の通り。映画では描かれなかった彼らの総統に対する忠誠心喪失の経緯がわかる。

1.ガングル少佐

ドイツ国防軍入隊時から士気の高い有能な兵士として頭角を現す。早々と少尉に昇進し、将校として初めて参加した戦闘では、上官から「完璧な砲兵知識を備え、交戦中も落ち着いている」と讃えられた。

1941年独ソ戦争(バルバロッサ作戦)が開始されると、ガングル少佐も砲兵中隊を指揮してウクライナへ進軍して戦い、1942年2月までに二級鉄十字章、一級鉄十字章を授与され、中尉に昇進。

その後、単発式砲兵隊からヴェルファー砲兵隊(多連装ロケットランチャー部隊)へ転属。1944年1月、ヴェルファー大隊の指揮官に抜擢され、独ソ戦の戦線を離れることができた。

第二次大戦中、ドイツ軍の総戦死者数: 約530万人、東部戦線(独ソ戦)での戦死者: 約400万〜430万人。つまり、ドイツ軍兵士死者の約4人に3人(75〜80%)が東部戦線(独ソ戦)で命を落とした。

東部戦線に留まっていたら、ガングル少佐の命運もそこで尽きていたかもしれない。

ヴェルファー大隊の指揮官として、西部戦線を転戦。米英連合軍相手の撤退戦の中で武勲を上げ、1944年3月、ドイツ金十字章(これは二級鉄十字章及び一級鉄十字章を両方授与した者だけが対象になる。)を授与され、少佐に昇進。ガングル少佐の大隊は、激しい戦闘を重ねる中で急速に損耗し、最終的には30名ほどに減ってしまった。

ガングル少佐は、1944年4月半ば、レジスタンス組織に接触、協力を申し出た。

2.シュレーダー大佐

14歳で親ナチ青年グループに入り、18歳で精鋭の軍事政治学校2年過程に入学。卒業後、1937年4月、ドイツ国防軍とは別組織であるナチス武装親衛隊(SS)に入隊。

武装親衛隊で出世を重ね、1941年4月、ハインリッヒ・ヒムラーの警護大隊副官に抜擢される。

1941年独ソ戦争開始後、レニングラード包囲戦に加わり、そこで戦傷。

1942年10月第22SS装甲榴弾兵連隊副官。

1944年3月ウクライナでソ連と撤退戦を戦い、その後米英連合軍のノルマンディー上陸を受けて西部戦線に転戦、連合軍と激しい戦闘を繰り返す。シュレーダー大佐はその時の様子を「地獄のよう」「耐え難い」と言い表している。

1944年7月はじめ、頭と右足に重傷を負い、生死の境を彷徨う。7月20日にヒトラー暗殺未遂事件の報が入ると、シュレーダー大佐は病床の中で決心する。「総統、ナチス、第三帝国と心ひそかに決別した。」


(その他)

なお、ミリタリーヘビーメタルバンド「サバトン」が、イッタ―城の戦いをテーマにした曲を書いている。 SABATON - The Last Battle